企業のFacebook運用に役立つ記事 - 明日のプラニングを実証した生データ

7万人のフォロワーがいるツイッターアカウントの方が当ブログのツイートをしてくれた。さて、いったい何回クリックされただろうか?

目次

  • いいねの数以上に記事は読まれている
  • 7万のTwitterフォロワーでもアクセスは少ない
  • 明日のプラニングに書かれていることをしみじみ実感
  • 定常社会を目指す

いいねの数以上に記事は読まれている

明日のプラニングの書評をブログに書いたら、著者:佐藤尚之さん(以下さとなお氏)のFBに取り上げて頂き、このブログにアクセスが殺到した。その夜サーバーが重かったのはそのせいだったことが判明。

さとなお氏のFBフォローは2万人を超える。11/11の夕方に投稿があり、翌日の14時に見た時は「いいね」の数が316名だった。ブログ記事のアクセス解析データを見るとFacebook経由のセッションは557。つまり「いいね」を押さずとも見てる人はたくさんいるということ。この結果はいつも「いいね」」の数を気にしてるマーケティング人を励ますものだろう。

7万のTwitterフォロワーでもアクセスは少ない

一方、FacebookだけでなくTwitterでもさとなお氏が私の「ブログ公開しました」という旨のツイートをRTしてくれた。 彼のツイッターのフォロワー数は7万を超えている。単純な数だけで言うとFacebookより3倍以上多い。単純に考えるとTwitter経由のアクセス数もそれなりに見込めると思うのが自然な発想だろう。

しかし世の中そんなに甘くない。なんとTwitter経由のアクセスは53。7万人以上のフォロワーがいるさとなお氏のアカウントでRTされても、Twitter経由のアクセスはFacebook経由の10分の1だったのだ。

この事実の違いは何を意味するのか。一旦数字を整理する。以下の表はさとなお氏の各SNSのフォロワー数と、氏の各SNSアカウント経由でのブログ記事のアクセス数をまとめたもの。※2015/12/17時点

フォロワー数 ウェブへのアクセス数
Facebook 20,234人 557アクセス
Twitter 72,292フォロワー 53アクセス
※記事を書いた当初Twitter経由はゼロとしてましたが、データに誤りがありました。訂正します(2015/12/17)

あくまでこの事例での数字に過ぎないので一般化しては言えないし、この事例はすごく特殊かもしれない。それを留保しておくが、しかしマーケティング人にはけっこうびっくりするような差ではないだろうか?少なくとも私はびっくりした。
なぜびっくりしたかと言うと、例えば、ある企業のマーケティング担当者が、自社商品あるいはサービスを広めるためにTwitter運用をしていて数万人のフォロワーがいるとする。

その努力がやり方次第ではすっごく無駄になってしまうかもしれないからだ。「7万人もフォロワーがいるんだから少しくらい売れるだろう」という希望的観測は1円にもならない時代なのだ。まさに「明日のプラニング」に書かれている砂一時代。

Twitter経由のアクセスが少ないのは、さとなお氏のツイートの仕方が原因だったと思われる(非難しているわけではないです、念のため)。
改めてツイートを見ると、さとなお氏自身のコメントがなく私のツイートが単にRTされている。これではフォロワーの共感を呼ばない。だからブログへのアクセスがなかったと思われる。

明日のプラニングに書かれていることをしみじみ実感

さて、何が言いたいかと言うと、共感を呼ばない情報発信の仕方ではいくらフォロワーが多くても何の意味もない。一方で共感が得られる方法ならば、フォロワーが少なくても反響がある。

実際、FBでさとなお氏はコメントつきで嬉しい旨を素直に表現されている。SNSでは自分の発するメッセージは真摯なかつ自然な言葉を伴わないと伝えたい人には通じない!ということをしみじみ実感した。これはまさに「明日のプラニング」、「明日の広告」などに書かれていることではないか!

定常社会を目指す

こうやって考えていくと、企業の人が意図的にバズらせようとすることとか、Facebookページの「いいね」を金で買うなどの行為は共感が得られない傲慢な発想だと改めて思う。これから広告や情報発信はそういう発想では何の成果も効果も得られないだろう。

SNSのフォロワー数をひたすら増やそうという発想はあまりに資本主義的過ぎるのだ。際限なく稼いで、際限なく経済成長率を増やして、一体にその先に何があるというのか。

経済学者の水野和夫氏の言う「定常社会」という発想がある。以下に「資本主義の終焉と歴史の危機 p188」から引用する。

「定常社会」とはゼロ成長社会と同義です。〜中略〜経済的にもう少し詳しくみていくと、ゼロ成長というのは、純投資がない、ということになります。純投資とは、設備投資の際に、純粋に新規資本の調達でおこなわれる投資のことですから、設備投資全体から減価償却費を差し引いたものになります。
この純投資がないわけですから、図式的に言えば、減価償却の範囲内だけの投資しか起きません。家計でいうならば、自動車一台の状態から増やさずに、乗り潰した時点で買い替えるということです。

経済学的な基礎知識がないと少し難しいが、要するに経済成長を目指すのはもうやめようということ。なぜならフロンティア(投資する場所、つまり成長の余地)はもうないのだから。

こういう発想が根底にあれば、ひたすら経済成長を目指すこと、例えばマーケティング人がやみくもにフォロワー数を増やしたいとか、経営者が利益を極限化するために社員に無制限に残業させるとか、品切れしないことを前提に発注するコンビニ弁当とか、そういう諸々の社会問題が緩和されて、お互いに共感の得られる優しい社会になれるのではないだろうか。

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このブログの筆者

早川朋孝
早川朋孝
ネコ好きな読書家。
月一冊は専門書を読むのが目標。年間読書計画はだいたい決まっているが、だいたい横にそれるのが悩み。好きな作家は塩野七生さん、佐藤優さんなど。タバコ嫌いで、ちょい右寄りです。

仕事はウェブが専門。学生の頃よりウェブ制作に従事し、CMSの提案やアクセス解析が得意。上場企業や、東京オリンピック関連サイトなど大規模ウェブサイトのプロジェクトを多数経験。仕事のウェブサイトはこちら
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