2014/10/18

「1984年」 ジョージ・オーウェル

みんなが読んでる小説を読んでいないと、話についていけないことがある。

Appleのジョブズとか、色々なシリコンバレー系の人が書いた本によく引き合いに出させれる有名なSF小説がある。ジョージ・オーウェルの「1984年」だ。シリコンバレー系の人の本には「1984年に描かれている世界」というような表現がよく出てくる。
著者は当然読者が1984年を読んでいるという前提で話を進めるため、こういう時に「1984年」を読んでいないとけっこう辛い。それが小説の名前であることすら知らないと文意が全くつかめない、そんな状況にすらなってしまう。
従って誰もが読んでいるような超有名な作品は当然読んでおく必要がある。皆が読んでるならそんなに難解ではないと推測できるので、さっさと読んでしまおう。

1984年は怖い!

1984年はどんな世界?

全体主義の社会が描かれたこの小説は1948年頃に書かれた作品。1948年から見た1984年の世界を描いているのだが、これがとても怖い。怖いと言ってもホラーの怖さではなく、思想を統制する恐ろしい未来の世界の話。舞台は世界がオセアニア、イースタシア、ユーラシアの大きな3つの勢力に分かれ、その内の一つ「オセアニア」で繰り広げられる。
「ビッグブラザー」という政府のがトップが思想統制をしている。そんな恐ろしい世界だけに1984年の世界は全体に不穏、陰鬱、暗さえ覆われている。
まるで葬送行進曲をひたすら聞いているかのうような重さが作品を支配している。主人公のウィンストン・スミスは真理省に務める役人である。その真理省の建物の壁には、以下のような文字が刻まれている。

戦争は平和なり自由は隷従なり無知は力なり

日記を書いたのが発覚しただけで死刑になる可能性のある世界。恋愛は禁止されている世界。そして、何かを思考するだけで犯罪になってしまう未来。全ての住居、道路、仕事場、ありとあらゆる空間はビッグブラザーを頂点とする政府の双方向テレビで監視されており、時計のように正確な日々を過ごし、個人的なことを考えてはいけない。
少しでも上の空だと、監視カメラから名指しで叱責されるのだ。それが自宅であっても。それを無視するという反抗的な態度をとるとどうなるのか、それは作品を読んで確認して欲しい。

階段の踊り場では、エレベーターの向かいの壁から巨大な顔のポスターが見つめている。こちらがどう動いてもずっと目が追いかけてくるように描かれた絵の一つだった。絵の下には"ビッグ・ブラザーがあなたを見ている"というキャプションがついていた。

そして「二分間憎悪」がある世界。二分間憎悪とは、まあ一種の儀式のようなものなのだが、職場で毎日組まれている。そこで働くものはその儀式に参加することになる。その描写を引用する。

油の切れた巨大な機械の発するようなおぞましく耳障りな音がホールの奥の大型スクリーンから飛び出してきた。歯が浮き、首の後ろで毛が逆立つような不快感を催させる音。<憎悪>が始まったのだ。
いつものように<人民の敵>エマニュエル・ゴールドスタインの顔がスクリーンに現れる。席のあちらこちらから非難の声。薄茶色の髪をした小柄な女が恐怖と嫌悪の入り混じった金切り声を上げた。〜中略〜 二分経って憎悪は半狂乱状態にまで高まった。誰もが自分の席で飛んだり跳ねたり、声を限りに叫んだりして、スクリーンから聞こえてくる腹立たしい羊の声をかき消そうとしている。
薄茶色の髪をした小柄な女は頬をピンクに染め、陸揚げされた魚さながらに口をパクパクさせた。〜中略〜二分間憎悪の恐ろしいところは、それぞれが役を演じなければならないことではなく、皆と一体にならずにはいられないことだった。
30秒もすると、どんなみせかけも必ず不要になった。醜悪なまでに高揚した恐怖と復讐心が、敵を殺し、拷問にかけ、鍛冶屋の使う大鎚で顔を粉々にしたいという欲望が、スクリーンに見入るもの全員のあいだを電流のように駆け抜け、本人の意思に反して、顔を歪めて絶叫する狂人へと変えてしまうのだ。

この儀式に参加するとビッグブラザー政府の敵ゴールドスタインを憎まずにはいられなくなるのだ。本当はそんな人物がいるかも分からないのだが、これ参加する者は気づかずに政府の敵を自分の敵として憎むようになる。よく分からないまま興奮状態で周りに同調してしまうのだ。
日本でも太平洋戦争中の軍国教育で似たようなことがあったし、他の国でも当然あるだろう。

さて、1984年で一番恐ろしいと思ったのは「二分間憎悪」ではないし、「思想統制」でもない。さらっと書かれた部分で、実に恐ろしい文章があった。人間を考えることができなくさせるという計画の下りである。
カレル・チャペックの「R.U.R」では、人間はロボットの労働に頼りきり指一本動かさなくなったという恐ろしい場面がある。この「1984年」でもそれに匹敵する恐ろしい場面があるのだ。それでは秋の涼しさが増す恐ろしい一節を紹介する。

「〜思考の範囲を狭めることにあるんだ。最終的には「思考犯罪」が文字通り不可能になるはずだ。何しろ思考を表現する言葉がなくなるわけだから。必要とされるであろう概念はそれぞれにたった一語で表現される。その語の意味は厳密に定義されて、そこにまとわりついていた副次的な意味はすべてそぎ落とされた挙句、忘れられることになるだろう。 〜中略〜 意識の範囲は絶えず少しずつ縮まっていく。 〜中略〜 いま僕たちの交わしているような会話を理解できる人間は一人として生きていなくなるってことさ。」

こんな世界観の1984年。主人公スミスは自由を求め禁止されている恋を楽しむ。しかしそれが発覚し、当局に拷問をうけ、恋人を売る。彼は自由を捨て、当局の望む人間に生まれ変わる。彼はビッグブラザーを愛するようになり、幸せに暮らす。
この構図、ミシェル・ウエルベックの「服従」にも同じような構図を見て取れる。

ジョージ・オーウェルはイギリスの作家で「1984年」は戦後間もなく執筆された。当時はスターリンの共産主義に対する恐怖が西側諸国を覆っていた。
そういう時代背景から生まれるべくして生まれた作品と言えるだろう。言論の自由のない恐ろしい世界を味わいたい人は、秋の夜長に読んでみてはどうだろう。

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このブログの筆者

早川朋孝
早川朋孝
ネコ好きな読書家。
月一冊は専門書を読むのが目標。年間読書計画はだいたい決まっているが、だいたい横にそれるのが悩み。好きな作家は塩野七生さん、佐藤優さんなど。タバコ嫌いで、ちょい右寄りです。

仕事はウェブが専門。学生の頃よりウェブ制作に従事し、CMSの提案やアクセス解析が得意。上場企業や、東京オリンピック関連サイトなど大規模ウェブサイトのプロジェクトを多数経験。仕事のウェブサイトはこちら
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