2014/10/24

いじめについて考える本2 「野中広務 差別と権力」

前回はインドのカーストに基づいたいじめについて書かれた「女盗賊プーラン」を取り上げた。今回は日本の差別、いじめについて考えてみる。日本のいじめと言っても、中学とか高校でのいじめではない。被差別部落に関するものだ。 日本に「被差別部落」というものがあったのを知っているだろうか。過去形で書いたのは「今はない」ということなのだが、私は直接は知らないので推測になってしまうけれど、おそらく被差別部落やそれに近いものは今でも存在するだろう。この種の差別やいじめでが完全に消えるわけないからである。

いじめについて考える本

  1. 「女盗賊プーラン」
  2. 「野中広務 差別と権力」
  3. 「生かされて」と「旧約聖書」

野中広務 : 差別と権力

次に紹介するのは日本の差別の話。野中広務さんは自民党の政治家だった人で、官房長官にまで昇りつめた。内閣総理大臣に手が届くところまで行ったのだが、出自の問題で総理大臣にはなれなかった(ならなかった)。
野中が生まれた京都の園部町は、俗に言う「被差別部落」であった。被差別部落とは簡単に説明できないが敢えて簡単にまとめると以下のようなものである(勉強不足で記述に誤りがある可能性があるが悪しからず)。

被差別部落とは

江戸時代に士農工商の外に置かれた差別階級があった。彼らは例えば、動物の皮をはぐといったようなことを生業にしており、大名に高待遇で召し抱えられていた。彼らの作る皮は戦やその他いろいろな場面で重宝されるので高待遇だった。
効率よく作業をするために同じ場所に集まって生活し、それが集落を形成していた。仕事柄、血にまみれることになる彼らは、高待遇という周囲のやっかみも相まって、集落の外の住人からは散々差別されてきた。

昔の人にとって血は「けがれ」そのもの。疫病や天災が「けがれ」によって生じると信じられていたからだ。だから血を扱う部落民は忌避されてきた。
彼らが、江戸時代より前から、その時々の権力者に仕えてきたとすると、差別の歴史は1000年に及ぶことになる。明治維新で徳川幕府が解すると、技術の革新なども加わって仕事がなくなってしまったが、差別は残ったのだった。

これに関する文章を少し長いが、本文から引用する。

中世には病気や天変地異などの災いがケガレによって生じると信じられていた。ケガレは人や牛馬の死、お産、女性の生理、犯罪などから発生するとされ、人々は災いから逃れるためにそれらを忌避した。京都産業大助教授で京都部落問題研究資料センター所長の灘本昌久が語る。「当時の人々はケガレ意識が非常に濃厚だったんです。
たとえば家の中で人が死ぬのは忌避すべきことだった。だから死にかけた重病人は河原に運んでいって掘っ立て小屋に放り出して死なせることもあった。
それほど死に対して強い恐れを抱いていたんです。」女性の生理などに対するケガレ意識は今も人々の心の奥に残っている。たとえば日本では使用ずみの生理用品はトイレの中の特別な容器に捨てることになっている。
灘本が教える女子学生が米国留学した際、ホームステイ先の家のトイレにはその容器がなかった。「生理用品はどこに捨てたらいいんですか」と聞くと、その家の主婦はなんでそんな当たり前のことを聞くのかといった表情で「ごみ箱に捨てたらいい」と答えたという。
「われわれは日常、単に衛生上の問題と考えているが、実はケガレを処理しているという場合が多い。公衆トイレで小用を足した後、蛇口をひねって手を洗うより、洗わないほうが衛生的だと思うけど、どうしても洗ってしまうのは、ケガレの処理の部分が相当大きいと思う。中世の人々は身分の上下とか貧富の差よりもっと深いケガレの感覚が非常に強くて、これが部落差別意識の淵源になっているのです」

野中広務は1925年、被差別部落に生まれた。大阪の国鉄に就職するが徴兵され戦争に行く。幸いにも何事もなく復員を果たし、戻った国鉄で出世していくのだが、ある日、散々世話をした後輩が衝撃的なことを言っているのを耳にする。

「あの人(野中のこと)は大阪じゃ飛ぶ鳥を落とす勢いだけど、故郷では部落の人だから」

野中はその後輩のために手をつくして夜間学校に通わせたり、苦労して部屋を世話したりしたその後輩が、こう言っているのを耳にしたそうだ。野中は四日間、家にこもって呻き続けていたらしい。
この部分を読むと、非常に苦しい体験だったことがうかがい知れる。そして上司に強く引き止められながらも国鉄を辞める。地元、つまり被差別部落というものと向き合い生きていく決心をしたのだ。

野中は町会長に立候補することになり。根強い差別と戦い続ける。被差別部落を救済するために、被差別部落の業者に優先して仕事をまわすなどの政策があったのだが、被差別部落内の人間がそういう政策に甘えることで、余計な差別を助長するとして、野中はそういった政策を撤廃する活動を続ける。
当然いろいろな反対勢力が存在し、苦労しながら政治活動を継続していく。野中は町会長、京都府議員、国会議員と階段を登っていき。
最終的には官房長官という権力の絶頂にまで辿り着き、総理大臣も手を伸ばせば届くところまで行ったのだが、再び、被差別部落の出身という自身の出自に対する差別に阻まれたのだった。

かつて絶大な権力と存在感を放ったアメリカの国務長官パウエルが「なぜ大統領に立候補しないのか」と質問されたことがあり、こう答えたそうだ。「黒人の自分が大統領に立候補するほど、アメリカ社会は成熟していない。
仮に立候補しても、活動中に暗殺されるだろう」と。野中広務も「被差別部落出身の自分が総理大臣にはなれない」と言っているが、これはパウエルの言っていることと同じだと思う。

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このブログの筆者

早川朋孝
早川朋孝
ネコ好きな読書家。
月一冊は専門書を読むのが目標。年間読書計画はだいたい決まっているが、だいたい横にそれるのが悩み。好きな作家は塩野七生さん、佐藤優さんなど。タバコ嫌いで、ちょい右寄りです。

仕事はウェブが専門。学生の頃よりウェブ制作に従事し、CMSの提案やアクセス解析が得意。上場企業や、東京オリンピック関連サイトなど大規模ウェブサイトのプロジェクトを多数経験。仕事のウェブサイトはこちら
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