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大阪なおみ選手はハーフだから日本人じゃない?誰もが誤解してる国籍のお話

2018年09月11日 時事ネタ

大阪なおみ選手が全米オープンで優勝し日本中が祝福ムードだけど、世の中には色々な人がいるもので、ネットを探すと下記のように様々な声が見られます。別に私は大阪なおみ選手が「日本人だから優勝して嬉しいとか」、「ハーフだから優勝しても嬉しくない」などと言うつもりはない。彼女のインタビューに出てくる人柄だけで応援したくなる十分な理由でしょ。

著名人の国籍に関しては度々話題になります。最近で記憶に新しいのは女優の水原希子さん。詳しくは知らないけど彼女は韓国人とアメリカ人ハーフ?らしく、それなのに「芸名で日本名を名乗ってるのはけしからん」という意味不明な言動をして人を傷つける人がいるのです。大阪なおみさんにしろ水原希子さんにしろ、「ハーフだから日本人じゃない」とか、「いや日本人だ」とか、うーん、そんなのどうでもいいじゃん、と思う。というのも、みんなが思ってる○○人(日本人でも、アメリカ人でも、エジプト人でも)って、本当はそんなもの存在せず、私たちの頭の中にあるだけの、ぶっちゃけ思い込みでしかないのです。

そもそも国籍って何?

繰り返すけど、国籍なんてものは私たちの頭の中にあるものでしかない。例えば、人間の「手」も本当に「手」なんてものが存在するのか疑わしい。こういうことを書くと、「私は手がある、誰でも手があるでしょ」と言う人がいるだろうけど、手という概念自体、便宜的な名称にすぎないのです。「手そのもの、手それ自体を持ってきて」と言われて、本当に持って来られる人は世界に一人もいないはず。

国籍もそれと同じです。国籍なんて概念は所詮我々の頭の中にあるものでしかない。「国籍持ってきて」と言われて、持って来られる人はいないでしょ。国籍っていうのはそういうものなのです。しかし現実に、多くの人が国籍とか国家という概念に縛られて行動したり、感じたり、考えたりしている。海外に行くときはパスポートが必要だし、この前のロシアワールドカップで、日本代表チームが活躍して大喜びした人はたくさんいるでしょう。私もその一人です。夜中に叫びまくりでした。国籍は頭の中にしかない程度ものなのに、なぜ私たちはこんなに縛られているのか?不思議ですね。

ちょっと想像してみてください。150年以上前江戸時代の人が、例えば会津藩の人が「私は日本人だ」という発想を持っていたか?おそらくなかったでしょう。会津の武士なら、「私は会津藩士だ」っていう感覚しかなかったはずだし、長州の人なら「私は長州藩の人間だ」っていう感覚だったでしょう。少なくとも日本人という感覚を持つ人がいなかった。ところがペリーが浦賀にやってきて、海外の異人と接することで初めて「日本」という感覚を当時の人が持つようになる。しかもやってきた人たちは強力な武器を持っている。やばい、藩とか言ってる場合じゃない、と危機感を持ったのが勝海舟とか坂本龍馬とかでしょう。

民族が昔からあると感じるのは気のせい

このことから、国籍とか国民国家というものが近代の産物だとわかります。日本に関して言うならたった150年そこいらです。けっこう短いでしょ。よく一般にある「民族は何千年も昔からある」というのは完全に誤解なのです。日本民族は2600年の歴史があり、今年は皇紀◯◯年なんてのは、言うのは勝手ですが、幻想です。民族がはるか昔からあるという感覚は完全に気のせいです。こういうナショナリズム論は原初主義といいますが、知識人の間では却下される考え方です。

それにも関わらず、民族が昔からあるように感じるのには理由があります。上記のような、日本は2600年の歴史があるというような物語は、人々の感情に訴える力が強い。こういう感情的な記述とわずかな歴史史料が結びついて、力強さを持ちます。その結果、多くの人が民族を昔からあると勘違いしています。この考え方については、アントニー・D・スミスの『ナショナリズムの生命力』、『ネイションとエスニシティ』が詳しいです。

標準語が生まれた理由

一方で道具主義という考えもあります。エリートが民衆支配のためにナショナリズムを利用したという考え方です。これについて詳しく見て見ましょう。

ナショナリズムはヨーロッパならナポレオン戦争の頃に出てきた概念で、それが世界中に輸出されました。フランス国民軍がヨーロッパ中を支配したけど、それに対する反抗として各国のナショナリズムが養成されたのです。皮肉ですね。もう少し歴史を詳しく見ると、1648年のヴェストファーレン条約で現在の国際社会の原型ができて、それから国境とか主権という概念が生まれた。ただ、当時は特定の領域に住む人が自分が帰属する国家に対する意識は希薄でした。つまりこの時点ではまだ近代国家は存在しません。

では、近代国家はどうやって生まれたのか?その鍵は標準語にあります。

簡単に説明すると、標準語は出版資本主義によって生まれました。一番分かりやすいのがルターです。ルターの宗教改革以前は、ヨーロッパでは書き言葉はラテン語だけした。しかし、超がつくエリートしかラテン語を扱えません。そんな数少ない人を相手に出版しても儲からない。だから、ラテン語で書かれた聖書はドイツ語に翻訳されました。その歳、話しことばの数だけ出版しては儲からないから、出版物の書き言葉は統一されます。これが標準語です。そしてその標準語でもって新聞とか、小説が書かれました。いや、書かれたものが標準語となった、というべきでしょうか。

私の知り合いの中国人は内陸の出身で、他の地方の人の言うことは全然分からないそうです。でも書き言葉ならお互いに通じる、と言います。標準語が国籍とか、私は○○人という感覚を養った想像に難くありません。こういうことを論じたのがベネディクト・アンダーソンという人です。その代表作『想像の共同体』は一読の価値ががあります。

最後に

どうでしょう、国籍とか、民族とか、国民国家を色々な人が論じているけれど、頭のいい人でも色々な考え方があって、どれが正解かなんて誰にも分からないのです。それくらいナショナリズム論はたくさんあり、複雑な問題です。小難しい話を長々と書いてきましたが、大阪なおみ選手の話に戻しましょう。彼女がハーフだから日本人じゃないとか、そんなことはどうでもいい。だって国籍なて頭の中にしかない思い込みで、人を傷つける必要はあるのかしら?

このブログを書いてる人
早川 朋孝

業界15年ウェブ運用の専門家です。データ分析やシステム導入の提案などをガッツリやってます。まっとうな情報のインプットとアウトプットを地道に継続することに重きをおいていて、月140時間は本を読みます。ワインとクラシック音楽とネコをこよなく愛し、タバコとトンデモ・ニセ科学は嫌い。明治学院フランス文学科卒。

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