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北朝鮮のミサイルが飛んだ「日本上空」はほとんど宇宙じゃない?

早川朋孝 早川朋孝
ITコンサルタント

今回、突然降ってわいた衆院選挙。その口実を我らが安倍総理大臣は「国難」と表現している。ここで言う国難は何か?まぁ、北朝鮮のことを指すのが妥当でしょう。しかし、先日【歴史とデータから分かる】北朝鮮が国連から追加制裁される理由で書いたとおり、日本と北朝鮮の間には圧倒的な経済の差がある。

アメリカが日本に攻撃をしかけてくればそれは国難どころか危急存亡だけど、アメリカ軍に守ってもらっている日本にとって、北朝鮮の攻撃は国難とは言い難いし、日本の上空を通過するミサイルは実際にどれくらい脅威なのか?を冷静に考えてみると、こちらも大して脅威と言えるほど切迫していない。こう述べる理由を以下に挙げてみます。

日本の上空ってどこ?

結論から言うと、北朝鮮のミサイルが飛んだ日本の上空とは、ほとんど宇宙のようです。一部報道によると「ミサイルは上空500キロメートルを通過」というのがありました。飛行機が飛ぶのが上空1万メートルとしてその500倍も「上空」なわけ。ここまで上空だともはや宇宙で、日本の領空ではないんです。何メートルまでが領空なのかは知らないけど、たぶん国際法で明確な規定はないはず。だって、上空499.999kmまで領空で500kmになった途端に宇宙になるわけじゃないしね。じゃ500.000001kmをミサイルが飛んで、ミサイルの下が少しはみ出て一瞬領空ん侵犯したとしたら、そのわずかな差を検知できるか?って話になる。

今のところ北朝鮮は日本の領空を侵犯するほどの度胸はないと言えるでしょう。

仮に領空侵犯するほど切迫してたら戦闘機が出動したり、地上からミサイルが肉眼で見えるだろうし、ミサイル迎撃システムが稼働してミサイルを攻撃してるはず。本当に撃ち落とせるのか知らないけど。

いつも通りの非難

こういう北朝鮮に対して、例の官房長官は「最も強い言葉で非難する」といつも仰ってますが、いつも同じように「最も強い言葉で」と言ってるから、結局はいつも通りという意味になっちゃう。クラシック音楽でも一曲の中にフォルティッシモとかピアニッシモは滅多に出てこない。だからたまに出てくると効果があるんだけど、それと同じで、何度も「最も強い言葉」と言うのは「いつもと同じだから非難してませんよ」と言っているのに等しい。「最も強い」は一度しかないはずなのだ。こんな論理が分からない人が官房長官なんです。「論理の勉強して、もっと言葉の表現力を磨いてください」って思っちゃう。

ミサイルから少し話がそれちゃったけど、要は北朝鮮のミサイルは領空侵犯してないのに政府は騒ぎすぎなわけで、北朝鮮をだしにして政権を維持しようっていう魂胆が、透けて見えるどころから丸見え(笑)。ない危機を煽って大きく見せている。これじゃまるで、ホントは暇なのに仕事が忙しいふりして職場を歩き回ってるパートの人みたい。そう思うと安倍さんも菅さんもちょっとカワイイかも。いやいや、国のトップがそれじゃ困りまっせ。

このように安倍さんも菅さんも国のトップの人なのに御世辞にも知的とは言い難い。ひょっとしたら、北朝鮮のミサイルが日本の上空500キロメートルを飛んだからそこは領空じゃないことを、「そんな難しい話は分からないよ」と全然理解していないかもしれない。「日本の上空を飛んだのだから領空かどうかなんて関係ないよ、とにかく北朝鮮は許さないんだ」と自身に都合よく考えているかもしれない。このように安倍さんは実証性や合理性を無視して、個人的な心象風景でものごとを判断しているように、少なくとも自分には感じられる。作家の佐藤優さんはこういう姿勢を反知性主義と呼んでます。

反知性主義とは「合理性、客観性、実証性を軽視もしくは無視し、自分に都合がいい断片的事実や根拠のない伝説をつなぎ合わせて作った物語を信じるという態度」を指す。

反知性主義者は、「状況はよく分からないけれども、ぼく(わたし)の言っていることが絶対に正しい」という幼児性を脱却しない心理にとらわれている。

危機を克服する教養 角川書店 p11

個人的な心象風景が大好きな安倍さんは、「日本を取り戻す」と考えています。つぎにこれについて検討してみましょう。

「日本を取り戻す」の「日本」はいつを指す?

安倍さんは「日本を取り戻す」とか「戦後レジームの脱却」とかねてから仰ってました(第一次安倍内閣のとき。この時はお腹痛くなって辞めちゃったけど)。最近は「戦後レジームの脱却」とか言うと歴史修正主義とそしられるので安倍さんは封印してるようですが、心中はこう思ってるのは普段の言動から明らかです。

で、問題は「取り戻したい日本」っていつ?ってことです。

あなたが思い浮かべる強い、輝いていた日本っていつでしょうか。多くの人は戦後の経済成長が最盛期を迎え、貿易摩擦でアメリカと関係が悪かった経済の黄金期だと考えるかもしれない。すなわち1970年〜1980年頃でしょうか。エズラ・フォーゲルをしてJapan as number one と言わしめるほど最強の日本経済でした。トヨタ車がアメリカ中を走り、SONYのウォークマンで世界中の人が音楽を聴いて、ウォール街のビルを日本企業が買いあさり、多分そんな時代。

安倍さんの著作「美しい国へ」でこの時代への言及があります。少し引用してみましょう。(ちなみに「美しい国へ」は読みたくはないけど、純粋に資料として軽く目を通さざるを得ない類の本です(仕事で、面倒だけど読まないといけないメールみたいなもの)。

このころの日本の成長ぶりは、まさに日本人の仕事にたいする熱意の成果だった。日本的経営が脚光を浴び、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』がベストセラーになったときである。

ただ、安倍さんは「戦後レジームからの脱却」と言っているので、この戦後の経済黄金期が安倍さんの言う強い日本でないことは明らか。

じゃあ、「強い日本」はいつ?

歴史を勉強した人なら、日清、日露戦争に勝ち、大日本帝国がアジア(ていうか朝鮮と中国、台湾)に植民地を次々と獲得した20世紀前半を思い浮かべるかもしれない。たしかにこの頃の日本は勢いはあったけど、結局この体制で太平洋戦争でアメリカにぼろ負けしたわけで、強かったかと言うとちょっと微妙でしょう。

じゃあ、いつ?

うーむ、安倍さんの心の中はわからないけど、たぶん安倍さんの私的な心象風景ではないでしょうか?再び、安倍さんの著作「美しい国へ」から引用します。子供の時に聖火ランナーを見に行ったそうです。そのときの思い出を語る場面です。

日本が輝いたときー東京オリンピック

ようやく聖火ランナーが遠くに見えた。でもそう思った瞬間には、もう目の前をとおりすぎていった。だから、かれがどんなふうに走っていたのか、さっぱりおぼえていない。それでも、家に帰ってからしばらく興奮がおさまらなかった。

敗戦から19年。わたしたちの国は、焼け跡から出発して、とうとうオリンピックを開催できるまでの復興をなしとげた。そしていま世界中の人びとが日本につどい、日本人選手がその前で、胸のすくような活躍を見せるー敗戦の悔しさと、戦争をはじめたことへの後悔をバネにかえ、強い精神力で生き抜いてきた世代にとって、それは誇らしく、もっとも輝かしいときだったにちがいない。

これは詩ですよね。安倍さんは「日本を取り戻す」と言っているけれど、それがジャパン・アズ・ナンバーワンの頃なのか、東京オリンピックの頃だったのか、それともそれ以外のいつだったのかご本人も把握していらっしゃらないご様子。強い日本が具体的にいつかは分からないけど、安倍さんの子供のときの輝かしい思い出と相まって、そういう時期があったと本人が思い込んでらっしゃる。

安倍さんは個人的な思い込みを自民党のキャッチコピーにしたり、ほとんど宇宙なのに「日本上空をミサイル通過」として「国難」と表現したり、どうも物事に対しての客観性、実証性などがなく私的な思いが前面に出ている感じがする。総理大臣という公人なのだから、私人のような振舞いは謹んでほしいと願っています。

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このブログを書いてる人
早川 朋孝 EC専門のSE
IT業界歴20年のエンジニアです。ネットショップ勤務で苦労した経験から、EC・ネットショップ事業者に向けて、バックオフィス業務の自動化・効率化を提案するSEをしています。
Web運用の経験もあり、アクセス解析、広告運用が得意で、広告APIとプログラムとの合わせ技で並の広告代理店にはできない提案が可能です。
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趣味は読書、ピアノ、マリノスの応援など
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