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大人なら「A級戦犯」の正しい意味を知っておきましょう。太平洋戦争についての正しい知識を得るのにオススメの二冊

早川朋孝 早川朋孝
ITコンサルタント

毎年この時期になると戦争についての多くの報道がなされます。核平気の是非、太平洋戦争は日本の侵略戦争だったのか、経験者の高齢化などなど。今回はそのうちの一つ「太平洋戦争は日本の侵略戦争だったのか」に焦点をあててみます。多くの人が日本は勝つ見込みのない戦争に突っ込んでいったという認識だと思いますが、結論からいうとその認識は間違っています。それがアメリカの戦後の宣伝工作というのは少し勉強すれば明らか事実で、そのことに関する良書を2冊紹介します。一冊は『日米開戦の真実』。それを補足するように読めるもう一冊は『アーロン収容所』です。

日米開戦の真実 著者:佐藤優

本書は作家の佐藤優氏が大川周明の『米英東亜侵略史』を読み解くという講義形式で筆が進みます。右翼の人が読めば大喜びするような本でしょうが、右だろうと左だろうとこういう優れた本を冷静に読んでほしいものです。良書で得た正しい知識を前提にして初めてまっとうな議論が生まれます。さて、私が気になったこの本の要旨を以下のようにまとめてみました。だいぶ乱暴な整理なのはご容赦ください。

  1. 日本は勝つ見込みのない戦争に突っ込んでいった、というのはアメリカの戦後の宣伝工作。アメリカは自分たちの占領を正当化するためにそうした。この考え方は歴史修正主義ではないのは明白だ
  2. ソ連は平和条約を破っており、A級戦犯の「平和に対する罪」というのを破った側が裁くのはおかしい。ソ連を唆した米英にも同じことが言える
  3. 大川周明の米英東亜侵略史は「鬼畜米英」のような感情的な表現を使っておらず、冷静な事実を客観的に積み上げて米英の侵略性を証明している
  4. 中国は東京裁判に関係ないので靖国参拝に口をはさむ余地がない
  5. 後発資本主義である日本は、帝国主義時代の条件下で、欧米列強の植民地になるか、植民地を獲得し帝国主義国となって生き残るかの選択肢しかなかった
  6. 米英は自国の権益に都合のいい二重基準を適用していた
  7. 米英はアジア人を人とみなしていなかった
  8. 日本は米英の侵略からアジアを守るためにアジアを侵略したが、そのような理屈はアジアの人には理解されなかった

この要約を読むと右翼の人が大喜びと書いた理由が分かると思いますが、部分的に都合のいい箇所だけを拾って極端な思想強化に流用するのはやめくださいね。

A級戦犯とは

さて本記事のタイトルにある「A級戦犯」についての記載が『日米開戦の真実』にはあります。その部分を紹介します。

A級戦犯、BC級戦犯という区分がマスコミや歴史書ではよくなされているが、この根拠についてはあまりよく知られていない。A級戦犯がいちばん悪質で、これにB級、C級が続くという印象が浸透しているが、これは誤りだ。

日米開戦の真実 p140

ではA級、B級、C級は何が違うかというと単に「罪の種類が異なる」だけである。重さではなく種類が違うのですよ。なので会社などで営業の人が「お前この案件とれなかったらA級戦犯だな」というのは本質的に筋違い。そういう上司がいたら「A級戦犯の意味が違ってます」と冷静に指摘しても、部下のあなたに何もいいことはありません、はい。なおA級戦犯は「平和に対する罪」という太平洋戦争勃発時に存在しなかったでっちあげの事後法で、いかに米英が勝手に作った基準であるかがよくわかります。

太平洋戦争とは何だったのか

日本が東南アジアを侵略したのはどういう理由だったのでしょう。それを理解するには1919年のヴェルサイユ条約にさかのぼる必要があります。日本はこの会議で人種差別条項の撤廃を提案しましたが、イギリスとオーストラリアに強く反対され提案は拒絶されました。日本は欧米列強が究極なまでに自己中心的であることをまだ理解していなかったのです。米英は建前で平和を述べるが自己の利権を手放すきは毛頭なかったのに対し、日本は米英の建前を信じてしまった。その証拠に1922年のワシントン条約では戦艦の保有比率が明白に日本に不利であるのにかかわらず、調印している。ちなみにワシントン条約では日本の主力艦が米英の6割に抑えられるというものでした。

こういった日本の状況を著者の佐藤優氏は性善説と性悪説という言葉を使い、うまく説明していいます。性善説に立つ日本が結局はいつも不利な目に遭い、やがて日本は米英と同じルールで競争するのではなく、米英と異なるルールそのものを作ろうとした。それが大東亜共栄圏です。しかし、「米英から侵略を防ぐために我々日本人が東アジアを支配する」という理屈がアジアで通じるはずもなく、この過程で日本は東アジアの人びとをたくさん傷つけてしまったのです。このことについてうまく言及してい一節が、次に紹介する『アーロン収容所』に書いてあります。

アーロン収容所 著者:会田雄次

『アーロン収容所』は著者による終戦直後から1年9ヶ月のビルマにおける英軍捕虜としての記録です。激しい強制労働に服せられた屈辱の日々が綴ってあります。その文章を紹介します。少し長いですが、そのまま引用します。

想像以上にひどいことをされたというわけでもない。よい処遇をうけたというわけでもない。たえずなぐられ蹴られる目にあったというわけでもない。私刑的な仕返しをうけたわけでもない。それでいて私たちは、私たちといっていけなければ、すくなくとも私は、英軍さらには英国というものに対する燃えるような激しい反感と憎悪を抱いて帰ってきたのである。異常な、といったのはそのことである。

ビルマで英軍に捕虜となったものの実状は、ほとんど日本には知られていない。ソ連に抑留されたびとのすさまじいばかりの苦痛は、あらゆるマスコミの手を通じて多くの人びとに知られている。私たちの捕虜生活は、ソ連におけるように捕虜になってからおびただしい犠牲者を出したわけでもなく、大半は無事に労役を終って帰還している。だから、多分あたりまえの捕虜生活を送ったとして注目をひかなかったためもあろう。抑留期間も、ながくて二年余でしかない。そのころは内地の日本人も敗戦の傷手から立ち直るためにのみ夢中のときである。人びとの関心をほとんどひかなったとしても無理はない。

だが、私はどうにも不安だった。このままでは気がすまなかった。私たちだけが知られざる英軍の、イギリス人の正体を垣間見た気がしてならなかったからである。いや、たしかに、見届けたはずだ。それは恐ろしい怪物であった。この怪物が、ほとんどの全アジア人を、何百年にわたって支配してきた。そして、そのことが全アジア人のすべての不幸の根源になってきたのだ。私たちは、それを知りながら、なおそれとおなじ道を歩もうとした。この戦いに敗れたことは、やはり一つの天譴(てんけん)というべきであろう。しかし、英国はまた勝った。英国もその一員であるヨーロッパは、その後継者とともに世界の支配をやめてはいない。私たちは自分の非を知ったが、しかし相手を本当に理解しただろうか。

イギリスのアジア人に対する蔑視がいかにひどかったか

ワシントン条約ではイギリスが人種差別条項の撤廃に反対したと書きましたが、イギリスのアジア人や有色人種に対する差別や蔑視がいかに酷かったかを記した箇所があります。この部分はまっとうな人なら怒りを覚えるだろうから、読むのは注意してください。閲覧注意です。捕虜となった著者がイギリスの女兵士からどういう扱いをされたかが書いてあります。文中の「彼女たち」とはイギリス女兵のことです。

もちろん、相手がビルマ人やインド人であってもおなじことだろう。そのくせイギリス兵には、はにかんだり、ニコニコしたりでむやみと愛嬌がよい。彼女たちからすれば、植民地人や有色人はあきらかに「人間」ではないのである。それは家畜にひとしいものだから、それに対し人間に対するような感覚を持つ必要はないのだ。どうしてもそうとしか思えない。

はじめてイギリス兵に接したこと、私たちはなんという尊大傲慢な人種だろかとおどろいた。なぜこのようにむりに威張らねばならないのかと思ったのだが、それは間違いであった。かれらはむりに威張っているのではない。東洋人に対するかれらの絶対的な優越感は、まったく自然なもので、努力しているのではない。女兵士が私たちをつかうとき、足やあごで指図するのも、タバコをあたえるのに床に投げるのも、まったく自然な、ほんとうに空気を吸うようななだらかなやり方なのである。

だからといって今もイギリス人がアジア人や有色人種を昔と同じように蔑視しているわけではないだろう(多分ね)。ただ、少なくとも帝国主義が全盛の当時は、欧米列強国は究極に自己中心な奴らというのが、この『日米開戦の真実』と『アーロン収容所』を読むとよく分かります。ま、過去の歴史に基づいて米英人に対する感情を煽っても仕方ないので、こういった歴史があったことを知ったうえで、これからどうするか?を考える材料にしたいと思うのです。

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このブログを書いてる人
早川 朋孝 EC専門のSE
IT業界歴20年のエンジニアです。ネットショップ勤務で苦労した経験から、EC・ネットショップ事業者に向けて、バックオフィス業務の自動化・効率化を提案するSEをしています。
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API連携の相談にのります
趣味は読書、ピアノ、マリノスの応援など
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