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『暴力の人類史』 スティーブン・ピンカー

早川朋孝 早川朋孝
ITコンサルタント

暴力の人類史

アメリカの教育現場ではドッジボールは暴力的過ぎるから禁止したほうがいいという理由で、体育でやらなくなっているらしい。親が我が子をしつけのためにおしりペンペンするのは虐待と見なされる。ちょっと過剰なまでに、暴力や競走が忌避されている感がある。特に20世紀に入ってからこういった傾向は強くなっているらしい。ん?20世紀?ちょっと待った。20世紀は二つの世界大戦、ナチスのホロコースト、その他独裁者による大虐殺など大量の人が殺された時代だ。その20世紀が平和だと言うのだろうか?

確かに20世紀は悲惨な世紀だった。第二次大戦の被害者は歴史上もっとも死者が多かった戦争だ。西欧から始まった近代化によって人を効率よく殺す兵器が大活躍した。それでも著者によれば、昔からすると20世紀は平和な時代だったという。なぜそう言えるのか?

人口における殺害者の比率

それは比率だと著者スティーブン・ピンカーは言う。絶対数で言うなら20世紀の戦争の被害者は非常に多かった。それは間違いない。しかし、人口あたりの殺害者を計算すると、その割合は中世以降確実に減少してきている。戦争だけでなく、日常の暴力行為などあらゆる統計データが掲載され、丁寧にそれを照明していく。

ジェノサイドやホロコーストという言葉は、そういった言葉が生まれた背景は、それを残虐な行為だと認識するようになったということらしい。かつてはジェノサイドは権力者にとっては日常的過ぎてそれは罪な行為ではなかった。それが罪だと思われるようになった。つまり平和になってきているということ、と著者は言う。

「暴力の人類史」は今日の我々の世界は歴史上最高に平和。こんなことが書かれた希望の書だ。先日、母校の大学図書館に行って際、この本が置かれていた。まだ誰も借りていないようだが、分厚さにめげず、若い学生に読んで欲しい。

ネットで見られる言葉の暴力

読後に感じたことがある。確かに平和な時代だと思うが、一方で、特にネットで言葉の暴力がかまびすしい。嫌韓の記事、極端な自国礼賛の記事、ヘイトスピーチなど、言葉が空虚でかつ極端に暴力的だと感じる場面がある。高橋弦一郎さんの『ぼくらの民主主義なんだぜ』に書いてある通り、真摯に考え、言葉に接することが大事だと思う。

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このブログを書いてる人
早川 朋孝 EC専門のSE
IT業界歴20年のエンジニアです。ネットショップ勤務で苦労した経験から、EC・ネットショップ事業者に向けて、バックオフィス業務の自動化・効率化を提案するSEをしています。
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