小池さんの希望の党と民進党が合流するにあたり、小池さんは「リベラルの人はお断り」と言っている。で「保守とかリベラルって何?」っていう人は多いでしょう。なので、この記事ではこの疑問について考えてみましょう。
目次
- 実は定義は曖昧だった「保守とリベラルの違い」
- 日本のリベラルと保守って何?
- そもそも右翼と左翼って?
実は定義は曖昧だった「保守とリベラルの違い」
結論:保守とリベラルの違いはけっこう曖昧。
そう、「保守」と「リベラル」の定義はけっこう曖昧なのです。まずは大辞林をひいてみましょう。定義はこうあります。
- 保守
- 1.古くからの習慣・制度・考えを尊重し、急激な改革に反対すること ↔︎ 革新
2.正常な状態を保ち続けること。 - リベラル
- 1.自由を重んじるさま。伝統や習慣にとらわれないさま。また、そのような立場の人。
2.自由主義に基づくさま。自由主義の立場をとるさま。また。そのような人。
3.穏やかに改革を行おうとするさま。また、そのような立場の人。
よく読むと意味が一部かぶっているのが分かります。保守の「急激な改革に反対すること」とリベラルの「穏やかに改革を行おうとするさま」の部分がほぼ同義ですね。保守とリベラルというと対立する立場のように感じられますが、言葉の定義を調べると一部同じ意味があることが分かります。
では、次に日本の政治の場で使われる定義に焦点をあてて、保守とリベラルの違いを見てますが、この意味においてもやはり曖昧さはあります。例えばこてこての保守与党である自民党はの正式名は「自由民主党」でしょ。自由(リベラル)ていう名前が入ってる。戦後ほどなく自由党と日本民主党が合併してできたのが自由民主党です。保守党なのにリベラルな側面もある。
上記は一例だけど、一つの団体が保守だから、あるいはリベラルだからと、その性格一色でべたっと塗りつぶされているわけではないのです。団体でなく人でもそうです。あなただってあることに対して保守的だったり、別のことに対してはリベラルだったりする面はあると思う。例えば、ある人が同性婚に反対なら結婚に関しては保守的だし、同じ人が国際結婚OKと考えるならリベラルな側面もある。だから保守とリベラルという違いはけっこう曖昧なのです。
日本のリベラルと保守って何?
で、この曖昧であるという基本を踏まえたうえで、日本のリベラルと保守って何か?について考えみましょう。
これは戦前、戦後の歴史が関係してきます。アメリカとの戦争に敗けた日本には、安保体制をよしとするリベラルな考え方と、よしとしない保守的な考え方があります。保守的な考え方はこう考えます。「敗戦後の日本の体制はアメリカの属国みたいだから、アメリカの影響を排して国粋主義的に自分たちの憲法や軍隊が欲しい」と。
安倍総理大臣もそういう保守派の一人。もっとも安倍さんは世襲の職業政治家だから、本当にそう思っているか不明で、ひょっとしたら政治家のポーズとして保守派のふりをしているだけかもしれない。一度そういうポーズをとって票を集めると、保守に反する考えや政策をしたときに支持者から反感を買って、落選するかもしれないからね。だから安倍さんは政治家やっている限り保守的な姿勢を取り続けます。
で、日本のリベラルはどんな人かというと、いまの憲法(つまりアメリカのつくった憲法)でいいじゃんという人たちです。だからリベラルは国粋主義ではないと言えます。で、希望の党と民進党が合流して何が問題かというと、保守な希望の党とリベラルな民進党は考えが違うのに合流しようとしているからなのです。小池さんは安倍さんのことは嫌いだけど保守的な考えなので、民進つまり「リベラルな人たちとはソリが合わないからリベラルな考えの人とは一緒にやりません」と言ってるわけ。
ただ最初に確認した通り、保守とリベラルの違いはけっこう曖昧だから「リベラルは希望の党に入れない」っていうのは本当はあまり意味がないかもしれない。でもそれじゃ政治家は支持を得られないから、とりあえず保守かリベラルをはっきりさせるわけです。マキャヴェリも君主論で中立はだめだって言ってたしね。今回の選挙の状況を保守とかリベラルの観点から整理すると、以下のような感じかな。
安倍さん:ばりばり右派(あるいは右派のふりをしてる)
小池さん:安倍さん嫌いな右派
前原さん:安倍さん嫌いな左派
共産党:安倍さんも小池さんも嫌いな左派
左派とか右派という言葉が出てきたので、この意味も確認しましょう。
そもそも右翼と左翼って?
ネトウヨとかいうけど、左翼と右翼はどう違うか?日本の政治で使われている文脈からはいったん置いておいて、左翼と右翼の本来の意味を確認します。この先を読んだ人はお得ですよ。
そもそも左と右に分ける意味は、フランス革命に由来します。1789年のフランス革命の時に議長席から見て左側に座っていた人々、すなわち左翼です。この人たちは人間の理性に基づいて、理想的な社会や国家を構築できると考えていました。古い貴族の支配する体制には当然反対なのです。左翼の人は以下のように考えました。佐藤優さんの著作「日本国家の真髄」で分かりやすく説明してるので引用します。
完全情報が与えられているならば、人間は理性に基づいて、共通の結論に至ると考える。左翼にとって、真理は1つなのである。現行憲法を改正して、理性に基づいて、理想的な憲法を作ろうと言う発想に、左翼思想の罠が潜んでいると私は考える。
これに対して、フランス革命の時に一応席から見て右側に座っていた人々、すなわち右翼は、人間の理性には限界があると考える。ここで重要なのは、右翼は理性を否定しているのではないことだ。理性の限界を強調しているのである。各自には偏見があるので、ある人がいくら理性に基づいて、客観的かつ誠実に考えているつもりであっても、偏見から完全に逃れることができないのである。裏返して言うならば、限界の内部においては、右翼であっても理性に基づいた議論をする事は当然のことである。ただし、右翼は理性の限界の外に置いてこそ、人間の真価があらわれると考える。
日本国家の真髄 p27
上記の引用に「各自には偏見があるので」とあるとおり、ある人が右に偏ることもあるし左に偏ることもあります。右よりの保守はいるし左よりの保守もいます。右よりリベラルもいるし左よりのリベラルもいます。最初に定義を確認した通り、ラベル一色でべたっとは決められないのです。
だから、今の日本が保守とかリベラルって言っているのは、まったくとは言わないけどほんとはあまり意味がない。上記引用のような知識は、たぶん政治家はほとんど知らないでしょう。左派を自認している人でも「人間の理性が〜」なんて高尚なことは考えてない。あるのは票集めのことだけなんじゃないかな。