1959年2月1日、9人のロシアの大学生の登山チームがウラル山脈北部で遭難し全員死亡した。死因は低体温症と外傷だった。女性二人を含む9人の若者は登山経験が豊富だったにもかからず、なぜこのような悲惨な目に遭ったのか。ディアトロフ峠遭難事故として有名なこの事故は、その不可解さから様々な憶測を読んだ。というのも、事故当時の状況はまさにミステリーそのもの。
- 全員がテントから飛び出していた
- 誰もがろくに衣服を着ていなかった
- 遺体発見当時、肌が変色しているものがいた
- 遺体からは異常値の放射線が検出されたものがいた
- 舌がない状態で見つかった女性がいた
- 衣服に燃えた跡があるものがいた
- テントはそのまま残されていた
- テントは切り裂かれていた
- 事故発生当時、空に謎の光を見たという証言が多く残っていた
登山経験豊富で技術の高く優秀な大学生の登山チームが、慌ててテントから逃げ出す理由は見当たらなかった。真冬のウラル山脈北部の気象状況は厳しく、場所によっては草木一本生えていない。ハリケーン並みの強風が絶えず吹き付け、体感温度はマイナス40度にはなろうというのに、なぜ優秀な若者はテントを捨てたのか。興味深いのは、テントがあったその山を、現地のマンシ族はその山を死に山と呼んでいたことだ。その名前が遭難事故の前からそう呼ばれていたのか、あるいは事故後にそう呼ばれるようになったのかは定かではない。
当時の事故調査委員の出した結論は「未知の不可抗力による死」だった。この不可解さとソ連という鉄のカーテンの向こう側のお国柄もあって、世界のオカルト好きは様々な憶測をした。現地の部族に襲撃された。雪崩にあった。共産主義の何かを見て当局に口封じされた。核兵器の実験に巻き込まれた。UFOに襲われたなどなどだ。しかしどれ一つとして遭難事故の原因を決定的と言えるほどに説明できているものはなかった。
この遭難事故に興味をもった著者ドニー・アイカーは私財を投じてこの事故の真相究明に没頭する。調べているうちに、彼は一つの事実を発見した。この事件には一人の生存者がいたのだ。
本書は扇動的なところがなく著者の科学的な姿勢に好感が持てる。構成も見事で、若者たちの足跡を追う視点と、調査チームの視点と、著者の視点の計3つの時間軸が並行して進んでいくのが凝っていてる。鉄のカーテンの向こう側にあったソ連という国の若者たちが、どんな夢を持って、どんな生活をしていたのかも垣間見える。たった50年前だが、スマホはもちろんネットもなかった時代のソ連の大学生は、しっかり青春を謳歌していたのだ。そして彼らはたくましい。吹雪の雪原をスキーで踏破し、レコードを自分で刻んで海賊盤を作り、汽車の運賃をごまかし、その溢れる生命力には圧倒される。
彼らの旅の途中で森林伐採の労働者たちと出会い、自分たちの恵まれた境遇に思い致す場面を読むと、共産主義の中でも格差があったことが分かる。歴史の資料としても読めるのだ。メチャクチャ面白くて、一日で読んじゃいました。いかにも映画化されそうな題材だ。
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