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いやいや残業してる人はとりあえず読んどけ 朱野帰子著『わたし、定時で帰ります。』

早川朋孝 早川朋孝
ITコンサルタント

『わたし、定時で帰ります。』

私がこの小説を読もうと思ったのは、4/15の読売新聞の夕刊に書評があり、その中に<舞台がWeb制作会社>とあったから。まさにそういう仕事をしているので、その場でkindleで買って読み始めました。もしWeb制作会社という設定でなかったら、読むことはなかったかな。本作はドラマになっているらしく、どうせライトな小説かと思っていたけどいやいやなかなか読み応えのある作品でした。それにこの4月から働き方改革の法案が施行されるので、小説の題材が実にタイムリーです。

もしドラマを観始めて続きが気になるという人は、この小説を読むほうがお得です。ドラマが仮に1回1時間で計10回の場合、全部で10時間。一方小説なら2〜3時間くらいで読めます。ま、小説とドラマではまったくの別物なので一概に比較はできませんが、とりあえず話が気になるという人には、小説を読むという選択肢をもあります。

さて、この小説は少なくとも2通りの立場から読むことができると思います。それは残業嫌いな被雇用者とワーカホリックと経営者です。ではそれぞれの立場から『わたし、定時で帰ります。』を見てみます。

残業嫌いな被雇用者の立場からこの小説を読む

残業嫌いな被雇用者とは、つまり小説の主人公である東山結衣と同じ考えの労働者ということです。主人公は18時の定時きっかりで帰り、行きつけの中華料理屋で18時半のハッピアワーに駆け込みビールを満喫する。そのビールを飲む場面は至極美味しそうに感じられる。主人公は入社以来ずっとそんな社会人生活を続けてきた。しかしそこは小説。そんな生活がずっと続くはずもなく、面倒な案件に巻き込まれる。その渦中で同僚で全然仕事ができず平気で徹夜をする吾妻に対し「明日の自分を信じよう。勇気出して、一緒にタイムカード押そうよ」「定時に帰るは勇気のしるし、だよ」と、業務効率化を促す場面はなかなかの見せ場だ。主人公はそこまでして定時で帰りハッピアワーを満喫したいのだ。定時上がりのビール万歳!

なぜそこまでして東山結衣は定時上がりにこだわるのか。その原因の一つに、家庭を顧みなかった父の姿がある。今は年老いたがかつて猛烈社員だった父親と、東山結衣が語る場面はなかなか印象的な場面。

父は深く溜め息をついて言った。
「お前は、我が娘ながら、変な奴だ。疲れたというだけで有給をとる。空気も読めない。会社にいる時間は短いし、理不尽なことにも耐えられない。日本の会社員が美徳とするものを、お前は何一つ持ってない。社会人としてやっていけんのかって、俺はずっと心配してた。でも、もう三十過ぎたわけだしさ、上に立つ人間になったんだからさ。時には長いものに巻かれなきゃいけないってことを、そろそろわからなきゃ」

父の言葉を飲みこもうとした。でもできなかった。結衣は言い返す。

「たとえ長いものに巻かれてても、間違ってるってわかったら、巻かれるのをやめるのが、本当の美徳ってもんなんじゃないの?」

もしあなたが残業嫌いな被雇用者の立場ならば、主人公東山結衣の言動を読むたびに「そうそう、そうだよね」と同調し、小説を通して繰り返し描かれる中華店でのビールの場面が浮かび上がって読むことができるでしょう。反対にワーカホリックな人はというと、そもそも小説を読む時間がないだろうから、ずっと残業嫌いな被雇用者の立場を想像できないままだろうね、きっと。

ワーカホリックの立場からこの小説を読む

主人公と同じ会社で働く種田晃太郎はばりばりのワーカホリック。そして主人公の元婚約者という設定。仕事に対してこれだけ対極的な二人だから、破談の原因は当然それです。種田晃太郎は「月月火水木金金」を地で行くタイプで、猛烈社員。小説にはかつてバブル期に放映されたCM「24時間戦えますか〜♪ビジネスマーン〜」が描かれるが、種田晃太郎は24時間戦える。かなり極端な設定だとは思うけど、ま、小説なのでよしとしますが一つ言うならば、出世至上主義のサラリーマンの方はそれとは違う価値観がないと過労死する確率が高いです。

仕事中毒の人の論理によると、残業や休日出勤をするだけで炎上しそうな案件が落ち着くわけだから、長時間労働をするのは当然なのです。なにをおいても仕事が最優先で、仕事という生きていくうえで核心となることにおいて価値観を共有できないわけだから二人がうまくいくはずがない。これから結婚しようという人は、こういう生活の基礎における価値観の相違がどういう事態を招くのか、本書で追体験することができます。

ダメ営業マンに振り回される現実

ワーカホリックとは違う視点になりますが、本書にはどうしようもないろくでなしみたいな人が出てきます。それが種田晃太郎が以前勤めていた会社の元社長福永。その福永も会社をたたんで東山結衣と同じ会社でマネージャーとして働くことになります。福永は案件を引っ張ってくるのですが、それが大炎上案件で東山結衣の定時帰りを危うくする。

50人以上の規模の開発会社やWeb制作会社なら、必ず1人はこういう営業がいるもんです。リテラシーが低く、システムの仕様でできないことを「できる」と言い、現場を疲弊させたあげく赤字を出し、結局辞めていくという不毛と無能さ。「こういう人いるよね」と多くの人が共感するでしょう。そんなダメ営業マンがいる一方で、お客さんともめることを厭わず交渉できたり、あるいはシステムの仕様でできないことを運用で回避する方法を提案できる人が「あの人できる」となり現場やお客さんからの信頼を得られます。これホントよ。もしあなたが新社会人なら、この小説をよく読んで、自分のいる会社で将来自分はどういう立ち位置を確保するのかよく考えるといいでしょう。

経営者の立場からこの小説を読む

この小説には経営者が何人が出てくるが、そのうちの1人灰原は、東山結衣の会社の社長だ。彼の言動によって経営者には経営者の悩みがあることを、労働者は知ることができる。経営者も迷いながら経営している。1人の人間としての苦労がある。

「社員が働きやすい会社をつくるために、僕がどれだけ苦労してきたか、君はよく知っているだろう」灰原はクラブハウスの入り口のほうへ顔を向けた。「有給消化率の向上。育休は最大で三年。君たちのチームの惨状を人事部に訴えられ、カードリーダーまで導入して、残業を厳しく管理している。必要な制度はすべて整えたといっていい」

「でも、みんな、自分から長時間労働へと向かっています。……隠れてまで残業しています」結衣は訴える。「制度だけを整えてもダメなんじゃないでしょうか」

「なぜ、ダメなんだろう」灰原は顔を結衣に戻した。「東山さんの意見は?」

この場面で灰原はさらっと言っているような印象を受けるけど、きっと「これ以上何をすればいいんだ」と心中思っているのではないでしょうか。ドラマ観てる人は役者がどういう演技をするか注目すると面白いかも。原作を読んでから映画やドラマを見るのは、役者がテクストをどう解釈するかという楽しみを得られます。定時で帰るという題材を一つとっても、これだけ色々な側面があります。そういう気付きを与えてくれるいい小説です。

まとめ

もしあなたが仕事で定時に帰れておらず、『わたし、定時で帰ります。』というタイトルにつられてこの小説を読んで感化されたからといって、明日から強引に定時で帰ろうなんて1人で実行しても痛い目みるだけだから、やめとき。

実際に長時間労働をしていて残業をやめようという人は、そういう経験を実際にした人の記事「残業しないで定時帰り」を23ヶ月間続けた記録【人生を取り戻す】を読むといいでしょう。また、かつて長時間労働が当然だったけど残業ゼロにした会社経営者の記事「残業ゼロ」を73ヶ月間続けた記録も併せて読むといいでしょう。

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このブログを書いてる人
早川 朋孝 EC専門のSE
IT業界歴20年のエンジニアです。ネットショップ勤務で苦労した経験から、EC・ネットショップ事業者に向けて、バックオフィス業務の自動化・効率化を提案するSEをしています。
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趣味は読書、ピアノ、マリノスの応援など
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