あなたは中国の辺境と聞くと、どういうイメージを抱くだろう?広大な中国の「辺境」一口に言ってもその表情は実に様々で、本書は英国人ジャーナリストが新疆、チベット、雲南、東北部という中国の辺境を旅して記録した渾身のルポルタージュ。大都会にいると決して味わえない大冒険を一冊の書物で追体験できちゃうお得な本です。
まず各辺境のアクセスの困難さに驚く。これだけ文明が発達した現代であっても、到達するのは命がけだ。例えば著者が雲南省の北端からチベット南東部に入った時の描写はこんな感じ。運転手が少しでもハンドル操作を誤ったら一巻の終わりだよ。
われわれは早朝に怒江峡谷(サルウィン峡谷)から出発した。ミャンマーやチベットとの境界線に挟まれた、辺鄙でほとんど人の訪れない地域だ。道は悲惨で、私が通ったなかでは中国最悪だったーー石と土の路面にトラックは荒海を行く船のごとく縦に横に揺れまくる。片側は怒江(サルウィン川)を見下ろすめまいがしそうな絶壁で、私はトラックのタイヤが崖っぷちに近づく回数を数えるのを放棄した。雲南省とチベットの境界まで四十キロの道のりに四時間かかった。
辺境中国 p112
上記は地理的なアクセス困難さの一例だけど、政治的、治安面のアクセスの困難さも当然ある。例えば新疆では、2009年7月に民族間の暴動事件があったのを覚えているかもしれないが、当時は現地のウイグル人は現地で外国人と話すだけで当局に目をつけられ、著者もスパイと疑われてしまう。西欧の自由主義や人権思想に慣れた人には理解できないことだが、現実に新疆はこういう世界なのだ。その理由は明白で、ウイグル人は国籍は中国人扱いされているが、実際には漢族とは関係ない人たちだ。
友人のビリーはウイグル人が漢族を新疆の侵入者だと見なすわけをいつも喜んで説明してくれた。「僕らは中国人となんのつながりもない」と彼はよく言っていた。「中国人には見えないし、話す言葉も違えば、食べ物だって違う。それに僕らはムスリムで、アッラーを信じている。中国人が信じているのは金だけだ」。反論はしにくかった。あの濃い髪、大きな目、突き出た鼻を見たら、誰もウイグル人を漢族と同じ国の住民とは思わない。
辺境中国 p21
中国には漢族以外に1億人近い国民がいて、その一億人は公式に認められた55の少数民族に属し、主に国境地域に住んでいる。その辺境は国土の約3分の2に相当する。そのほとんどが最近になって中国に吸収されたのは、うえのウイグル人の言葉からもよく分かる。この見解は中国共産党とは真っ向からぶつかるため、ウイグル人は厳しく弾圧される。こういう政治状況は、チベットにもあてはまる。西洋人ジャーナリストというだけで目をつけられる著者が、その条件で各辺境を物理的な危険、政治的な危険をものともせず旅して回るのだから、本書を冒険の書と言った冒頭の言葉も分かると思う。実体験でしか語りえない細部が本書に現実味を与えている。
そして、私が本書が優れていると思う記述があったので紹介する。本書は正義感に駆られた西洋人が中国の実態を暴くために各地を旅したわけではなく、そういう一方的な本ではないのです。中国共産党に抵抗する象徴のようなダライ・ラマは、著者は貴族だと言う。
(文化大革命で)そんなふうに常識がひっくり返った結果、一部のチベット人は紅衛兵になった。彼らにとって、僧院を収奪することは封建時代のチベットで味わった格差への復讐だった。上位の僧は貴族階級の出身のため、僧院は奉仕労働による徴兵制度の一部としてチベット人の大多数に貧しい暮らしを強いていると見なされていた。西洋の親チベット派の運動家にとっては不都合な真実だが、当代ダライ・ラマも先代たちと同じく、旧チベットで同胞の大半とかけ離れた特権的な生活をしていた名家の出身だ。
p121
こういう記述を見ると、現実はとても複雑だということがある。中国共産党による一方的な弾圧という側面だけでチベットを語ることはできないのですよ。現代の日本は幕末の近代化とアメリカとの戦争の敗戦によって西欧に由来する自由・人権思想どっぷりで、それを当然だと思っている。しかしその観点だけからチベットを見ても、上記引用のような現実を捉えることはできないでしょう。本書は冒険を味わえるだけではなく、現実は複雑だよと考えるきっかけを与えてもくれます。