サピエンス全史の著者ユヴァル・ノア・ハラリによる続編。前作ほど筆の勢いはない。いや、というより前作は斬新過ぎたので夢中で読んでしまった。その著者の文体に慣れた結果、今回の続編を新鮮に感じなくなった読み手の問題かもしれない。ただ、相変わらず知的興奮に溢れているし、分野を横断して様々なことを論じる著者の力量には脱帽します。文章は冒頭から刺激です。人類は飢饉、疫病、戦争と長く戦ってきたけど、それらを克服しつつあるというのです。
今日、食べ物が足りなくて死ぬ人の数を、食べ過ぎで死ぬ人の数が史上初めて上回っている。感染症の死者数よりも、老衰による死者数のほうが多い。兵士やテロリストや犯罪者に殺害される人を全部合わせても、自ら命を絶つ人がそれを数で凌ぐ。21世紀初期の今、平均的な人間は、旱魃やエボラ出血熱やアルカイダによる攻撃よりも、マクドナルドでの過食がもとで死ぬ可能性のほうがはるかに高い。
ホモ・デウス 上巻 p10
戦争による死者が減少しているというのは統計から明白でスティーブン・ピンカーの『暴力の人類史』に書いてある。日常的にテロやシリアの紛争のニュースに接していると世界には暴力が溢れていると思ってしまうが、現実には今日は史上空前の平和な時代なのだ。ファーストフードとタバコのほうがよほど人類には危険な存在である。
無数の人類を死に追いやってきた戦争、疫病、飢饉を封じ込めたいま、次の人類の課題は何だろうというのが本書の中心的な問いかけです。著者が考える次の人類の課題は「神になること」だそうです。ちょっとぶっ飛んでるように感じるけど、著者はいたって真面目で、淡々と筆を運んでいきます。
人類の次の標的は、不死、幸福、神性、つまり、人間を神にアップグレードすることを目指すだろう。
ホモ・デウス 上巻 p33
自由意志は存在しない。あるのはニューロンの発火だけ
私が本書を読んで一番ショックだったのはこの部分です。私たちが自由意志だと信じているものは、最新科学によると「そんなものは存在しない」ということになっています。タルワーという教授がラットを使って実験しました。けっこうショックです。ラットが右に曲がるのも、プロポーズをする決断をするのも、現象としてはニューロンの発火でしかない。
タルワー教授がリモートコントロールのスイッチの一つを押すと、ラットは左に曲がることを望む。だから左に曲がる。教授が別のスイッチを押すと、ラットは左に曲がることを望む。だから左に曲がる。教授が別のスイッチを押すと、ラットは梯子を上ることを望む。だから梯子を上る。突き詰めれば、ラットの欲望は発火するニューロンのパターンに過ぎないのだ。
ホモ・デウス 下巻 p110
人間を動物と区別する「魂」も「自己」も「意識」も存在せず、あるのはただのニューロンの発火。「おれたち人間は他の動物とうは違うんだぜ」というのは幻想なのです。以下の引用も興味深いので、よく読んでください。
ホモ・サピエンスに行われた実験は、人間もラットも同じように操作でき、愛情や恐れや憂鬱といった複雑な感情さえも、脳の適切な場所を刺激すれば生み出したり消し去ったりできることを示している。アメリカ軍は最近、人間の脳にコンピューターチップを埋め込む実験を始めた。この方法を使って心的外傷ストレス障害に苦しむ兵士を治療れきればと望んでのことだ。エルサレムのハダサ病院では医師たちが、深刻なうつ病で苦しむ患者の斬新な治療法の開発に取り組んでいる。患者の脳に電極を埋め込み、胸に埋め込んだ極小のコンピューターとつなぐ。コンピューターからの命令を受けると、電極は微弱な電流を流し、うつを引き起こしている脳領域を麻痺させる。この治療法はいつもうまくいくわけではないが、これまでずっと悩まされてきた暗い空虚な気持ちが魔法のように消えてなくなったと患者が報告する場合もあった。
ある患者は、手術の数カ月後に、症状が再発して激しいうつに圧倒されたと苦情を言った。医師たちが調べてみると、問題の原因がわかった。コンピューターの電池が切れていたのだ。電池を交換すると、うつはたちまち解消した。
ホモ・デウス 下巻 p110
アルゴリズムまかせ
あると思っていた人間の意識や自由意思は気のせいだった。まさに虚構だ。ドーキンスが『利己的な遺伝子』で生き物は遺伝子の箱だと言ったのと似ている。自分は主役ではないのです。そして著者は生命活動はアルゴリズムだと言う。冷酷なまでにそう言い切る。200年前のカトリック教会の司教が聞いたらショック死するかもしれない。ちなみに大辞林によるとアルゴリズムの定義は以下の通り。
- 計算や問題を解決するための手順、方式。
- コンピュータのプログラムに適用可能な手続きや手段
生命活動がアルゴリズムなら、うん、だったらより優れたアルゴリズムに任せてしまおう。何を食べるのか、明日デートするのか、その人と結婚するべきか、みんな優れたアルゴリズムが決めてくれます。身につけたチップはあなたの心拍数も何もかもあなた自身よりあなたを知っている。そのデータをアルゴリズムに渡して判断してもらえばいい。と著者は言います。最有力はgoogleかな。自分で何も決めずすべてをコンピュータアルゴリズムに決めてもらう。さらに人間の脳とインターネットを接続して、人間自体がインターネットのチップの一部となる。なんだかマトリックスの世界みたいですね。
そうやって不死を克服し、幸福を手にいれた人間は神になるらしいです。うーん、なんだかな。多くの読者にとっては新し過ぎてついていけないでしょう。著者は未来予測ではなく、可能性の一つと断っているけど。本書の内容をどう受け止めるかはあなた次第ですが、本書は決して絶望の書ではないと思う。なぜなら本書の締めが「生き物は本当にアルゴリズムなのか?」という問いかけで終わっているからです。
しかしながら、われわれ人間の自由意志は奪われてはならないもので、かりに運命が人間活動の半分を、思いのままに裁定しえたとしても、少なくともあとの半分か、半分近くは、運命がわれわれの支配にまかせてくれているとみるのが本当だと、わたしは考えている。
マキャベリの『君主論』より 池田廉訳 中公文庫
本書は人はどうしたいのか、どこにいくのか、どう生きるのか、考える材料をいっぱり与えてくれる高校倫理の教科書のような本だ。上下巻合わせて4000円と若い人には安くはないが、それだけの価値はあります。
若い人に向けたおまけ:理系と文系が融合するとこんなにすごい
この著者がすごいのは理系と文系が融合した権化のような存在だということだ。哲学から最新テクノロジーまで縦横無尽に論じる力量がすんごいのです。よく「私文系だから」とか「文系・理系どっち?」みたいな無意味な会話がなされるけど、どちらにも通じていることで著者のように深い洞察ができるようになるのです。小説よみまくって数学は全然できないとか、数学は得意だけど歴史と地理はちんぷんかんぷん、というのではダメなのです。若い学生にはこういう本は刺激になるでしょう。
歴史の基礎知識がない人は、本書を読むにあたっては山川倫理とかで宗教社会と近代以降の違いなどをさらっておくといいでしょう。頭にすっと入ってきます。もし意欲ある若い人がこれを読んだら、テクノロジーを勉強してそれを仕事にすると思います。若いときにこういう本を読んで行動に移せるかどうかで将来が変わってきます。